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フィリピン・ミンダナオ島で元日本兵が保護?

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雨季に入り例年以上に蒸し暑い日々が続くマニラである。めずらしく忙しい日々が続きTVやネットに目を通していなかったが、前日(5月25日)に東京から帰還した知人宅のTVに流れたNHKの夜7時のニュースに、いきなりフィリピン・ジェネラルサントス市で旧日本兵が発見されたとの画面が飛び込んできた。

ニュースのヘッドラインでは「郵政民営化法案が民社党欠席のまま国会審議入り」「石原都政で副知事三名の辞表提出」「外務省政務次官の失言問題」などかなりホットなニュースが続いていたが、最初に元日本兵のニュースが現地の様子などを含めてエキサイトに伝えられていた。日本大使館の小川参事官の記者会見の様子、翌日には更生労働省の担当官が現地入りするとの情報、そして帰国を希望している元日本兵は第二次大戦中、陸軍第30師団に所属していた大阪出身の山川吉雄さん(87歳)と高知県出身の中内続喜さん(85歳)のようだと報道されていた。

知人と私は、このお二人が小野田さんや横井さんの時の様には日本兵のまま潜伏していたのか、それとも現地人と同化して生活を続けてきたが高齢化してきて望郷の念が募り、帰国を決心したのではないかなどと、画面を眺めながら互いの自論を交わした。何れにせよ明日には会見の様子などで分かるだろうが、興味を掻き立てられるニュースであった。

私共はフィリピンに15年近く在住しているが、ミンダナオ島の奥地の状況は分からない。しかし、大変貧しい地方でも熱帯雨林の自然の恵みもあって滅多に餓死のニュースには触れない。反政府組織がジャングルを拠点に今尚活動しているのも其れを裏付ける。会見場のジェネラルサントス市はミンダナオ島最大の都市ダバオより南南西に下ったミンダナオ島最南端の港湾都市である。1990年代を通して、米国と日本からの開発援助によって人口50万の水産業都市として発展してきたと聞いている。
私も2年前にカツオ節に関して調べていたときに、既に日系企業が同市に生産工場を設け荒節に加工したものを日本に輸出していると聞いて、そこで働いている日本人の方とネットを通して情報を交換したことがある。また、マグロの缶詰工場や欧米への海産物の輸出拠点となっているなど、ジェネラルサントス市に対する私のイメージはミンダナオの中では先進都市であって、元日本兵のニュースはフラッシュバックを見る思いてあった。

続く27日、28日は日本からビジネスを目的に来られた方と在留邦人の間で起きたトラブル解決の相談にのっていたためにタイムリーにニュースを追えなかった。我々のような在留邦人が日本の出来事を即時的に追うことはなかなか困難である。NHKの海外放送でのニュース番組、空輸便による大手邦字新聞、インターネットからの情報取得、更に現地の邦字新聞などが身近な情報源となるが、どうしてもライブには程遠い。タイミングを計りながらTVをつけたり、出かけた先で邦字新聞だけでなく地元紙にも事件の展開の行方を求めたが、地元紙や地元TV局でこのニュースを大きく扱っているところは無く、結局27日、28日共にNHKのTVニュースとインターネットからの情報だけで、現地の情報を適時知る事はなかった。
「元日本兵との接触に困難を極めている」「仲介者の報道陣の前には現れず」そして昨日の深夜、、本稿を書き始める段になって、仲介者の情報が信憑性に欠けるとして日本大使館員はマニラに戻る事になったとの報をネット上の毎日新聞のサイトで知る事となった。

何とも釈然としない気持ちで、この出来事の背景に何があるのか勝手な想像を巡らし、投稿文を書き改めることにした。

フィリピンで戦後帰還できなかった残留孤児に関する件が世間の関心を引いた時がある。それは、90年代の入管法改正により在外日系二世にVISAの支給と永住権が付与されることなった時である。ブラジル人日系二世の多数が就業を目的に来日し、現在も外国人労働者に関わる問題になるとその存在が話題となるので周知のことと思う。
フィリピンでは戦後諸々の事情で日本に帰還せず又は帰還できず、ある人は日本名を隠し又ある人は理解ある伴侶にめぐり会い、戦後50数年を生き抜きその結果かなりの人数の日系二世が存在する。この入管法の改正を契機に日系二世であれば日本での定住も就業もできるとあって名乗り出る者が多数現れた。しかし、日系二世であることを証明するためには戸籍謄本始めとする本人証明に要する書類の整備が必要となるが、殆どの人達は戦後の混乱期に関係書類を紛失したり、意図的に日本人である事を隠すために消却したり、又は日本の本籍地での戸籍台帳に登録されていなかったりで証明することは大変困難を極めた。その様な状況のなかでフィリピンの残留日系人の有志の中から、日系人を組織化して問題の解決に当るボランタリー団体も生まれた。マニラ日系人会、バギオ日系人会、ダバオ日系人会など称する団体が今も活動している。更に在日弁護士の指導の下で資格認定を支援するフィリピン残留日本人法律支援センターなども現れる。国内では就労機会も少ないうえ、賃金も低い故に海外に職を求める者たちにとっては、日本で働ける又は定住できる事は夢のような事である。日系二世でない者までも身元を詐称して申請するなど認定作業も混乱した。なかには認定証の取得をエサにお金を騙し取るイリーガルなブローカーなども暗躍したようである。

80年代後半から90年代にまたがる日比間の人の移動では、フィリピン人芸能人(エンタテナー)の日本での就労が際立っており、メディアでもジャパユキ(日本での就労を目的とするフィリピン人芸能タレント)やジャピーノ(フィリピン芸能タレントと日本人との間に生まれた混血児)なる造語まで生まれるほどの社会現象となった。このジャピーノの中には就労年齢に達した日系2世も現れ始めている。

日本では90年代の経済不況と2000年代に入ってからもフィリピン人エンターテナーの日本での就労は増加を辿り、昨年からの「人身取引対策」に伴う入管規制がメディアで再び取り上げられるようになった。一方、現地フィリピンでは来比する日本人や在留邦人の状況に90年代前半の其れとは大きな変化が現れた始めた。
先ず、①海外投資や企業進出の停滞に伴い本国からの駐在員派遣は減少し、替わって在留邦人の現地雇用の増加。 ②日本国内での不景気と雇用環境の悪化を反映し、海外に活路も見出そうとする中高年令の人達の長期滞在者の増加 ③老後の生活をフィリピンに定めた高齢者の増加 ④フィリピン人女子との出会いから、生活の場をフィリピンに移す男性の増加 等々が上げられる。
その結果、諸々の期待を込めて来比したものの目的を達成するまえに所持金全てを使い果たし、明日の寝床すら確保できないような困窮邦人の増加や、日本人間の金銭上のトラブル又は犯罪への加担が目に付くようになってきている。

さて、本題の元日本兵の話に戻すと、旧日本軍の人事書類に載っている方と同一人物であれば87歳と85歳であり、終戦の年には27歳と25歳であった事となる。

年齢から察すると、残留孤児ではないだろうが、ダバオを中心とするミンダナオには戦前より入植移民した数多くの民間人がいたので、年齢からだけでは元日本兵とは断定できない。また、お二人が現在の土地に住みついた時期が断定されぬまで分からぬが、終戦時の残留邦人ではないかもしれない。最後のニュースで仲介者の情報が信憑性に欠けるとして大使館スタッフはマニラに引き上げるとなっているが、何とも釈然としない結末である。靖国神社問題、歴史教科書問題 等々、世界大戦の歴史の重みと認識の相違が小泉政権のアジア外交の要となっている時だけにマスコミは一斉に「元日本兵が生存」というような扱いをしたが、現地フィリピン事情を知る者にとっては単純に断定できないと思ったのではないだろうか。
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by jpaccess | 2005-05-31 16:12 | 時事ニュース